マリコラム 西日本放送アナウンサー「鴨居 真理子」のブログ

2023/11/03

中西太さんお別れの会

鴨居 真理子

強打の内野手としてプロ野球・西鉄(現西武)の黄金期を支え、
今年5月に他界した中西太さん(享年90)を偲ぶ「怪童 中西太氏 お別れの会」が
今月3日、高松市のJRホテルクレメント高松で開催されました。
 
私は、司会を務めさせていただきました。
というのも、亡き父が昭和31年高松一高卒業。
中西太さんの4期下の野球部の後輩だったというご縁で大役を仰せつかったのです。
実行委員会の川西崇弘さんが、今から30年程前に当時の高松一高野球部OB会長から
事務局を命じられ先輩を訪問した中で私の父に会っていたことで今回のお声掛けを
いただいたとのこと。川西さんには感謝です。
 
父は生前、私に高松一高野球部がいかに素晴らしかったか、
中西さんがいかに豪快で人間味に溢れたお人柄だったか、
お世話になった桝形博監督の話、
同期の近藤昭仁さんの話、野球がいかに人生を輝かせ、
学びの多い素晴らしいスポーツであるかなど、たくさん聞かせてくれました。
 
西日本放送に入社し、夕方のニュースキャスターを担当する中で、
番組内で中西さんを何度も取り上げ、その偉大さを改めて認識することとなりました。
 
振り返ると我が家は相当な野球一家でした。
父は社会人になっても野球チームに入っていました。私が生まれる前後まで
野球をしていた写真がたくさん残っています。
私が小学4年生の時に附属高松小学校で「鶯梅会」という少年野球チームを創設しました。
「小学校に野球チームがないのは、いかん!」ということだったようです。
 
何人かの仲間で、国立大学付属小学校だったため
倉庫一つ設置するのも大変で、国に掛け合って、それはそれは大変だっと聞いております。
それも仲間がいたからできたのだと申しておりました。
私が卒業した後も長く監督を務め、野球人生を歩んでいました。
私も球場やグランドにどれほど連れていかれたかわかりません。
休日の朝、母は父が監督を務めるチームの子でお弁当がない子のために頼まれた数だけ
いくつもお弁当を作る。そんな日々。
 
そして、兄は中高と野球部に入り(入れられ?)高高3年の夏はベスト8。
私も球場で応援していました。
家では物心ついてから、テレビはずっとプロ野球中継。
倉庫には大量のボールやバット、グローブ、ミット、バッティングマシーンなどの
野球道具が溢れていました。
 
兄が中学になってからは家の庭にはネットが張られ、トスバッティングの音が響き
(夜はライトをつけて)、
休日の夜は、兄の試合や練習のビデオを見て、父が助言。
というような星飛雄馬の家のような(?)環境で育ったのです。
 
中西さんの座右の銘「何苦楚、日々新也」の精神は、父から兄や私にしっかり受け継がれ、
私たちも随分、精神や根性を鍛えられたように思います。
 
今回の司会は中西さんを心から尊敬し、憧れ、慕っておりました父にも
少し恩返しができたように感じ、大変、ありがたく、誇らしく、光栄なことでした。
話が余事にわたりましたが…
 
中西さんがご逝去されて半年が経ちますが、各方面、悲しみは癒えません。
また、まだ実感がないという方も多くいらっしゃいます。
お別れの会では、高松一高野球部OB会長の伊藤良春会長の中西さんへの愛が溢れる
開会の挨拶に始まりました。
中西さんの経歴をスライドでご紹介。活き活きとした笑顔の中西さんの姿が
大きなスクリーンに映し出されました。
 
会場にいるのは、中西さんにゆかりのある方ばかり。
香川県の池田知事も高松市の大西市長も弔辞でそのお人柄を偲ばれました。
 
そして、侍ジャパンの元監督 栗山英樹さんの弔辞。
「おやっさん!」と遺影に呼びかける姿と
中西さんへの深い尊敬の念と信頼と愛が溢れ、ぐっと胸に迫るものがありました。
 
全員で献花し、さらに、中西さんのご家族やお仲間との姿を映したスライドを上映。
奥様のお礼のご挨拶にも感動しました。
お別れの会の実行委員会の上久保哲行会長の閉会のご挨拶も。
 
素晴らしい会となったのは、中西さんの偉大な功績とお人柄によるものだと
改めて感じました。
中西さんが、関わる人をどれほど元気にしてきたか皆さんのお話を聴くとよくわかります。
 
栗山さんが中西さんの銅像建立を提案されていました。
高松一高と一高野球部OBの皆さん、
高松讃紫会(高松高校、高松一高、高松商業の野球部OBで結成)、
いや、香川の野球を愛する人たち全員へのに新たな宿題ですね。
みんなの気持ちを一つにしないとできないこと。
 
中西さんが、野球界、香川の野球関係者みんなの野球愛を高め、
みんなが一つになれるように仕掛けて下さっているような気がしてなりません。
本当に凄い!偉大なのです!
高松市松島町の高松ミライエには「怪童 中西太コーナー」に
中西さんの栄光の軌跡が展示されています。
ぜひ、一度ご覧になってください。
(お別れの会では、その一部をお借りして会場に展示されていました。)
香川にすごい人がいたのだと、中西太さんの偉業を私たちが語り継いでいきたいと思います。
 
中西さん、ありがとうございました。
どうかこれからも見守っていてください。
 
合掌