日野 真の第2西日本放送 西日本放送アナウンサー「日野 真」のブログ
2018/11/05
帰ってきたラジオはアメリカン
日野 真
1981年にスタートし、弊社、西日本放送ラジオでも放送していた「ラジオはアメリカン」。番組終了から20数年、このほど東京で、その番組の同窓会的イベント「帰ってきたラジオはアメリカン」が開かれ、私も一人のリスナーとして参加してきました。
ステージに立たれた初代パーソナリティの大橋照子さんと、二代目パーソナリティの斉藤洋美さん、そして出演者でもあった放送作家の鶴間政行さん、お三方の懐かしい、あの頃と変わらない声、ただただ懐かしかったです。また番組放送時、主に小中高校生だったリスナーの皆様も平等に年齢を重ね(笑)、まさに会場は「同窓会」でした。
私が番組を「欠かさず」聴いていたのは、番組スタート時の中学3年生から高校卒業までの4年間。日曜夜10時15分からの30分、大橋照子さんの声を聴いて「明日から学校か」と思う毎週でした。当時の主な投稿手段はもちろんハガキで、様々なコーナーに投稿しましたが、リスナーのネタレベルは非常に高く、ほぼ毎週ボツ・・・そんな中、視聴者が自由なネタで、何か面白い事をカセットテープに録音する「面白カセット」のコーナーに投稿し、それが採用された時は、嬉しいと言うよりも、「自分の声がラジオで流れている」という、とてもとても不思議な気持になったことを記憶しています。私の声が電波にのったのは、おそらくあれが最初で、実はこれが、後の職業選択にも強く影響しております。
その後、大学の4年間を経て西日本放送に入社。入社後間もなく担当していたのが日曜夜11時前のニュース。ちょっと早めにラジオスタジオに入り、原稿のチェックなど準備をしながら毎週聴いていたのが、二代目ラジアメ担当・斉藤洋美さんの声でした。時に仕事で失敗したり、悔しい思いをして気持ちが沈んだ時も、斎藤さんの声を聴いて、自分が放送という仕事に興味を抱き、大きな夢を持っていた時代を思い出し、少なからず支えとなっていました。
「リスナーとしての立場」と「送り手側としての立場」両方の感覚をもって聴くことの出来た、自分にとっては稀有な存在、そんな番組でもありました。
気が付けば私も放送人30年生。社会人としてのゴールを意識した思考に陥る時もありますが、今回のイベントで、あの頃と変わらないラジアメパーソナリティの元気なお姿を見て、あの頃の気持ち、放送に夢を抱いた気持ちを思い出しながら、「まだまだ現役、頑張ろう」と再確認した次第です。
大橋照子さん、斉藤洋美さん、鶴間政行さん、またイベント実行委員会の皆さん、ありがとうございました。